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千葉地方裁判所 昭和62年(ワ)1644号 判決

原告 浅井イト

右訴訟代理人弁護士 梶原利之

被告 有限会社 磯ケ谷タクシー

右代表者代表取締役 板垣明男

〈ほか一名〉

右被告ら両名訴訟代理人弁護士 渡辺秀雄

被告 甲野一郎

主文

一  被告らは、原告に対し、各自金三四四八万一三二〇円及びこれに対する昭和六二年七月二五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の負担とし、その余を被告らの負担とする。

四  この判決は、第一、第三項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告に対し、各自金六九九五万二二八〇円及びこれに対する昭和六二年七月二五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  当事者

(一) 原告は訴外浅井直治(以下、「訴外直治」という。)の母である。

(二) 被告甲野一郎(以下、「被告甲野」という。)は、昭和六二年七月二五日、訴外直治を死亡させた者である。

被告有限会社磯ケ谷タクシー(以下、「被告会社」という。)は被告甲野をタクシー運転手として使用していたものである。

被告板垣明男(以下、「被告板垣」という。)は被告会社の代表取締役である。

2  被告甲野による訴外直治殺害の状況

被告甲野は、昭和六二年七月二五日、千葉県市原市八幡九七二番地先路上において、同人の運転するタクシーの客であった訴外直治と口論となるや、所持していたくり小刀(刃渡り一二・五センチメートル)で訴外直治の左胸部を数回突き刺し、もって同人を出血多量により死亡させた。

3  被告らの責任

(一) 被告甲野

被告甲野は、訴外直治に対し、民法七〇九条に基づき、後記損害を賠償する責任がある。

(二) 被告会社

被告甲野の訴外直治殺害は、被告会社の事案の執行につきなされたものであるから、被告会社は、訴外直治に対し、民法七一五条に基づき、後記損害を賠償する責任がある。

(三) 被告板垣

(1) 被告板垣は、被告会社の代表取締役として一般的に被告甲野の選任監督に当たっていたばかりでなく被告甲野の労働条件の決定、売上金の受領、乗車車両の決定、営業時間の指示を具体的かつ直接的に行う等、平素現実的に被告会社に代わって被告甲野を監督する地位にあった。

(2) 被告板垣は、従業員に対し安全運転や乗客に対する接客態度に関する教育を行い、また、タクシー車両について清掃、整備、修理等の管理を行い、もって被告甲野が凶器を持って乗車し、乗客を殺害するなどという事態の発生を防止する注意義務を負っていた。しかるに、被告板垣は、右義務を怠り、被告甲野が乗車する車両にくり小刀を所持して乗務するのを看過し、その結果本件殺傷事故を招来させてしまった。

よって、被告板垣は、民法七一五条二項に基づき、後記損害を賠償する責任がある。

4  損害

(一) 逸失利益 金二五九五万二二八〇円

訴外直治は、年齢三五歳の健康な男子であったから被告甲野に殺害されなかったとすれば、六七歳に達するまでの三二年間は就労可能であった。

訴外直治は、昭和六二年二月から被告甲野に殺害された当日である同年七月二五日まで千葉県市原市八幡一四六七―二所在の福島屋に土木建築作業員として勤務し月々二三万円の給与(年間収入二七六万円)を得ており、したがって右三二年の期間少なくとも同額の収入を得られたはずであるから、右金額を基礎とし、生活費として五〇パーセントを控除し、新ホフマン方式計算法により中間利息を控除して同人の逸失利益を計算すると、次の計算式のとおり金二五九五万二二八〇円となる。

276万円×0.5×18.806=2595万2280円

(二) 慰藉料 金四〇〇〇万円

訴外直治は三五歳の独身男子であり、被告甲野の凶悪な犯行によって殺害されその将来を失った無念さは筆舌につくしがたいものがあり、その精神的肉体的苦痛を慰藉するには金四〇〇〇万円が相当である。

(三) 弁護士費用 金四〇〇万円

原告は被告らが誠意を示さないので、やむなく原告代理人に本訴訟を委任したが、弁護士費用として本件殺害と相当因果関係のある損害は金四〇〇万円である。

(四) 以上の各損害を合計すると金六九九五万二二八〇円となる。

5  相続

原告は、訴外直治の母で他に相続人は存しないから、訴外直治の死亡により、同人の前記損害賠償請求権を相続した。

6  よって、原告は被告らに対し、各自金六九九五万二二八〇円およびこれに対する訴外直治が殺害された日である昭和六二年七月二五日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

(被告会社及び被告板垣)

1 請求原因1(一)、(二)の各事実は認める。

2 同2の事実のうち、被告甲野が昭和六二年七月二五日に訴外直治を死亡させたことは認めるが、その余の事実は知らない。

3 同3の事実のうち、(一)は知らない、(二)、(三)は否認する。

被告甲野の訴外直治に対する殺害行為は、次の(一)、(二)の理由から、被告会社の「事業ノ執行ニ付キ」なされたものではない。

(一) 被告甲野の訴外直治殺害行為は、訴外直治の被告甲野に対する脅迫行為に端を発したものである。そればかりか、訴外直治と被告甲野とのやりとりはタクシーの運行方法とか料金の支払等に関するものではない。全く個人的なもので被告会社の事業の執行とはおよそ関係ないものである。被告甲野の訴外直治殺害行為は、訴外直治の被告甲野に対する執拗なる暴言・脅迫行為に対する被告甲野の個人的感情が一気に爆発したもので、被告会社の事業執行行為を契機として生じたものではない。

(二) また、訴外直治は、タクシー料金の支払能力もなかったし、乗車の当初から支払う意思もなかった。あわよくばタクシー料金は踏み倒そうとの意思で右タクシーに乗り込んだものとも推測しうるのである。

したがって、被告甲野が訴外直治の右意思ないし能力を誤認して被告会社のタクシーに乗車させたとしても、右行為はそもそも被告会社の事業の執行行為ではないのである。

仮に、そうでないとしても、被告甲野が身の危険を感じ、訴外直治に「お客さん悪いけど、ここで降りて他のタクシーに乗って下さい、料金はいいですから」と申し入れた時点で被告甲野と訴外直治との運送契約は解除された。よって、この時点で被告会社の事業執行行為は終了した。その後の訴外直治と被告甲野とのやりとりないしトラブルは同人らの個人的なもので、被告会社の事業の執行とは全く関係のないものである。

4 同4の事実のうち、訴外直治が当時三五歳の男子であったことは認めるが、その余は知らない。

5 同5の事実のうち、原告が訴外直治の母であり、訴外直治の相続人であることは認めるが、その余は知らない。

6 同6は争う。

(被告甲野)

1 請求原因1(一)、(二)の各事実は認める。

2 同2の事実のうち、被告甲野に殺意があった点は否認し、その余の事実は認める。

3 同3の(一)ないし(三)は否認する。

4 同4、5の各事実は否認し、同6の主張は争う。

三  抗弁

1  被告会社及び被告板垣の抗弁

(一) 被告会社及び被告板垣は、次のとおり、被告甲野の「選任及ヒ其事業ノ監督ニ付キ相当ノ注意」をなした。よって、被告会社及び被告板垣の責任は免責されるべきである。

被告会社は被告甲野をタクシー運転手として採用するに際し、被告甲野から履歴書、契約書(公共機関に関する仕事に責任を持つこと、乗客に対するマナーを常に心がけること等を内容とするもの)等の各提出を受け、これについて確認し、採用に差し支えないとの心証を得て被告甲野をタクシー運転手として採用したものである。その後、被告甲野は乗客や他の運転手等との喧嘩やトラブル等もなく、また、乗客などからの苦情を受けたことも全くなかった。採用後の被告甲野の勤務態度などは極めて良好であった。

更に、被告会社は朝のミーティング等においても接客態度などについて十分注意指導してきた。特に被告甲野については、新車に乗務させるに当たり、本事件発生前の昭和六二年六月二六日、接客態度など一三項目にわたる指導をなし、その旨の契約書まで提出させており、被告甲野に対する監督を十分尽くしてきた。

また、被告板垣が被告甲野の選任、監督につき相当の注意をなしてきたことは前記と同様である。まして、被告板垣は被告甲野がくり小刀を所持していることなど全く知らなかった。右くり小刀は被告甲野個人の所有に属するもので、本件犯行の二、三日前に被告甲野が鳥かごを作る適当な竹を切るために、たまたま被告会社のタクシーのドアのポケット内に持ち込んでいたもので、被告板垣には被告甲野が右くり小刀を所持していることなど、容易に知り得べき状況にはなかったのである。

(二) また、仮に、被告会社及び被告板垣に、被告甲野の選任、監督について過失があったとしても、次のとおり、右過失と被告甲野の訴外直治殺害行為との間には因果関係はない。よって、これは、民法第七一五条一項但書にいう被用者に対し「相当ノ注意ヲ為スモ被害カ生スヘカリシトキ」に相当するというべきであるから、被告会社及び被告板垣の責任は免責される。

被告甲野の訴外直治殺害行為は、訴外直治の被告甲野に対するいわれなき暴言、執拗な脅迫に対し、それまで押さえていた訴外直治に対する怒りが一気に爆発したことにより発生したものであって、極めて特異な事案である。

被告甲野のこれまでの言動、勤務態度などからして、訴外直治からいわれなき暴言、執拗なまでの脅迫を受けたとはいえ、被告甲野が乗客を殺害することは被告会社、被告板垣には予測し得ざるところである。

被告会社及び被告板垣が、被告甲野の選任、監督についていかなる注意をしていたとしても、被告甲野の前記殺害行為を回避することなど到底不可能なことである。この意味において相当の注意をしなかったことと損害の発生との間に因果関係はないというべきであるから、被告会社及び被告板垣の責任は免責されるべきである。

(三) 損害の一部填補

被告会社は訴外直治の葬儀費用として金八三万四七五〇円を株式会社扶蓉社に支払ったほか、本籍地での葬儀費用、親族の交通費、諸経費の名目で金一八五万円の支払を余儀なくされた。

これら支払金は訴外直治の死亡により原告の被った損害の一部内入と解されるべきであり、損害の算定に当たって控除されるべきである。

2  被告ら共通の抗弁(過失相殺)

被告甲野の訴外直治殺害行為は、訴外直治の被告甲野に対する脅迫行為によって誘発されたものであるばかりか、訴外直治のいわれなき暴言、執拗なる脅迫に耐え忍んできた被告甲野の感情が訴外直治の「そんな刃物なんか怖くねえよ」「やるんだったらやってみろ」などという挑発的言動により一気に爆発したものであり、その大半は訴外直治の過失にもとづくものである。よって、損害算定に当たっては、極めて大幅なる過失相殺がされるべきである。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1のうち、(一)、(二)は否認し、(三)は一八〇万円の限度で損害に対する填補として認めるがその余は否認する。

2  同2は否認する。

被告甲野は、事があれば人を脅迫ないし殺傷する目的で、タクシー内にくり小刀を所持していた。そして、被告甲野には恐喝の前科があること、性格的にも短期であり客と口論となるのもしばしばあること、少なくない暴力的な喧嘩闘争の経験があること、被告甲野は訴外直治を乗車させた直後から興奮状態にあったこと等を考えると、訴外直治がタクシーに乗車した直後から訴外直治と被告甲野の間で互いの言葉を巡って口論となり、興奮した被告甲野が訴外直治を降車せしめたうえ、隠し持っていたくり小刀で無抵抗の同人を殺害したと見るのが自然である。

このようにして、仮に訴外直治に過失があったとしても、それは損害賠償の算定に当たって過失相殺の対象とされる程度のものではない事は明らかである。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1の事実(当事者の地位、関係)は当事者間に争いがない。

二  そこで、以下請求原因2(訴外直治の殺害の状況)の事実関係について判断する。

請求原因2の事実のうち、被告甲野が昭和六二年七月二五日に訴外直治を死亡させたことは原告と被告会社及び被告板垣の間では争いがなく、また、原告と被告甲野との間においては殺意の点を除き同2の事実は争いがない。

ところで、前記争いのない事実に、《証拠省略》によれば、被告甲野が訴外直治を死亡させるに至った経過は、次の1ないし4のとおりであったと認めることができ、これを覆すに足りる証拠はない。

1  被告甲野は、昭和六二年七月二五日午後一〇時ころ、タクシーの仕事についた。仕事開始後約三〇分を経過した午後一〇時三〇分ころ、被告甲野は、千葉県市原市八幡一八〇番地居酒屋「幸ちゃん」前で、訴外直治を客として自己運転のタクシーの後部座席に乗せた。訴外直治は、乗車直後ころ、被告甲野に対し、「おやじ俺は金がないけれど良いか。」と尋ね、被告甲野は着払いでも良いと考え、「良いですよ。」と答え車を進行させた。

2  被告甲野は、訴外直治に対し、行き先を尋ねたが、訴外直治は酒に酔っていることもあってか、「とにかくまっすぐ走ればいいんだよ。」と言うのみで、まともに答えず、そのうえ、「ガタガタ言うんじゃねえ。走ればいいんだ。このおやじ、ぶっ殺してやるか。ただじゃおかねえぞ。」などと怒鳴って、火の付いたたばこを被告甲野の首筋に押しつけそうになった(なお、この点は故意と認定するに足る証拠はない。)。

そこで、身の危険を感じた被告甲野は、少し走ったところで一旦車を止め、訴外直治に対し降車を求めたが、同人は、「てめえ、この野郎、俺を誰だと思っているんだ。ぶっ殺すぞ。てめえはどこのタクシーだ。」と怒鳴って、降車しようとしなかった。被告甲野は、仕方なく再び車を発進させたが、二〇〇メートルほど進行し、丁字路交差点に差し掛かった際、訴外直治に対し、どちらの方向へ曲がったらよいのか指示を求めたが、同人は何の指示もしなかった。

3  そこで、被告甲野は、もうこれ以上訴外直治の相手をすることはできないと考え、右丁字路交差点付近に車を停め、再度降車を求めた。ところが、訴外直治は降車するどころかますますいきり立ち、被告甲野に対し、「てめえやる気か。ぶっ殺すぞ。」などとわめくばかりであった。被告甲野は、強い態度を示して脅かせば訴外直治がおとなしく降りるかと思い、約三日前から車内の運転席ドアポケットに入れてあった刃体約一二・四センチメートルのくり小刀を取り出し、これを携えて車外に出て、後部座席に近寄った。すると、訴外直治も下車してきて、「そんな刃物なんか怖くねえ。やるんならやってみろ。」などと挑発しながら、被告甲野の方へ向かってくる気勢を示した。

4  被告甲野は、前記訴外直治の態度に、それまで押さえてきた怒りが一気に爆発し、午後一〇時四〇分ころ、くり小刀で、訴外直治の心臓等を強く突き刺し、午後一一時二〇分ころ同人を死亡させた(殺意のあったことは、凶器の形状、創傷の部位、犯行の動機等に照らし、これを認めることができる。)。

三  被告らの責任

1  被告甲野の責任

前記二の検討から明らかなとおり、被告甲野は訴外直治を殺害したのであるから、右殺害から生じた損害を賠償すべき義務がある。

2  被告会社及び被告板垣の責任

(一)  請求原因関係

(1) 被告会社の使用者責任(請求原因3(二))

被告会社の使用者責任が認められるかどうかは、被告甲野の殺害行為が被告会社の事業の執行に付きなされたといえるかどうかという点にかかっている。

そこで、以下この点について判断する。

当裁判所は、事業執行性の判断基準として、当該行為の外形から客観的に判断し、当該行為が事業執行行為を契機とし、これと密接な関連を有すると認められる場合には事業執行性を肯定し、これが認められない場合には事業執行性を否定するのを相当と考える(同旨最判昭和四四・一一・一八、民集二三・一一・二〇七九)。

これを本件についてみるに、本件事件は前記二のとおり被告甲野がタクシー業務に従事中、酔客を乗車させ、これを運送中、降車をめぐって争いとなり、乗客である訴外直治を死亡させたものであることが明らかであり、そうだとすると外形から客観的に観察する限り、本件は、まさに、乗客を運送途中の出来事であり、タクシーの事業執行行為を契機として、これと密接な関連を有する行為と考えるのが相当である。

よって、請求原因3(二)の事実(使用者責任)は、これを認めることができる。

(2) 被告板垣の代理監督責任(請求原因3(三))

ア 《証拠省略》によれば、請求原因3(三)1の事実(被告板垣が代理監督者の地位にあったこと)が認められる。

イ そこで、以下、被告板垣に監督義務違反の事実があったか否かという点について判断する。

注意義務の有無及びその内容

《証拠省略》によれば、道路運送法、自動車運送事業等運輸規則等の法規に照らすと、タクシーに乗務していた被告甲野を監督する地位にあった被告板垣は、被告甲野に対し、安全運転や乗客に対する接客態度に関する教育及びタクシー車両の内部等を点検し、もって、被告甲野が凶器等をもって乗車し、乗客を殺害するなどという事態が発生することのないよう注意すべき義務があったことが認められる。

義務違反の存否

《証拠省略》によれば、次のaないしdの各事実が認められる。

a 被告甲野は、昭和六〇年二月ころ、被告会社に入社した。被告甲野の労働の条件は、概略次のとおりであった。被告会社は被告甲野に被告会社の車を一日五〇〇〇円で貸与する。運賃収入のうち前記五〇〇〇円(一日当たり)を除いた部分は被告甲野の取り分とするが、ガソリン代、車の修理代、車の清掃、保管等は一切被告甲野において行う。被告甲野は一週間に一、二度被告会社に出社し、同社に運転日報を提出するとともに前記車代(一日当たり五〇〇〇円)を納入する。

契約内容は以上のとおりであったが、昭和六二年六月二六日ころ、被告会社は被告甲野に対し、新車を貸与し、その際、一日当たりの貸料が六〇〇〇円となったが、その余の条件は前と同じであった(以上のような取り決めをするにあたっては、被告会社では、専ら被告板垣がこれにあたった。)。

b ところで、被告甲野の監督者たる地位にいた被告板垣の被告甲野に対し行った指示等は次のとおりである。

被告板垣は、被告甲野入社時、被告甲野から履歴書を提出させた他、一三項目にわたる注意事項書を手渡し、後で読んでおくように指示した。被告板垣はそれ以上、被告甲野に対し教育を施さなかった(法令で定められている少くとも五日間の教育もしていない。)。被告板垣は、その後も、被告甲野に対しては、乗客に対する接客の仕方について等の教育は一切行わず、僅かに、前記新車を貸与する際、前記一三項目の注意書を手渡し、後で読んでおくよう指示した。これに対し、被告甲野は右注意書を読むことなく本事件の日を迎えた。

c また、被告板垣の主張するような朝のミーティングは開かれておらず、したがって、酔客が乗った場合、警察へ行くようにとの指導は一切なされていなかった。

d 更に、営業車(タクシー)の保管は、前記のとおり被告甲野においてこれを行っており、被告板垣において、車両の内部等の点検は一切行っていなかった。このため、被告板垣は、被告甲野が、前記車両の運転席ドアポケット内にくり小刀を入れていることに気付かず、これを放置していた。

以上aないしdの各事実によれば、被告板垣に前記で述べた義務に対する違反があったことは明らかである。

因果関係

《証拠省略》によれば、被告板垣に、前記の義務違反がなかったならば、本件殺害事件は発生しなかったと認められる。すなわち、被告板垣において、日頃から被告甲野に対し酔客に対する対応について十分教育し、また、日頃から車両内を十分点検しておれば、本件事件は防止できたと推認するのが相当である。その意味で、被告板垣の義務違反と本件殺害事故との間には相当因果関係があるといえる。

以上ア、イによれば、請求原因3(三)の事実(代理監督責任)は、これを認めることができる。

(二)  抗弁関係

(一)の検討で明らかなとおり、被告会社及び被告板垣の責任(請求原因3、(二)、(三))が認められるので、以下、免責の抗弁(抗弁1、(一)、(二))について検討する。

(1) 選任、監督上の注意を尽くしたとの主張(抗弁1(一))

被告会社及び被告板垣は、被告甲野の選任、監督に相当の注意をなしたと主張する。

しかし、被告板垣及び被告板垣を通じての被告会社の被告甲野に対する選任、監督の状況は、既に前記2(一)(2)イで詳細に検討したとおりであり、これによれば、被告会社及び被告板垣が被告甲野の選任、監督に相当の注意をなしたと認定することは困難というほかない。よって、被告会社及び被告板垣のこの点に関する主張は理由がない。

(2) 事故発生の不可避性の主張(抗弁1(二))

被告会社及び被告板垣は、被告甲野の選任、監督にいかなる注意をしていたとしても、本件事故は発生したといえ、その意味で、被告会社及び被告板垣の選任、監督上の過失と損害発生との間には相当因果関係がないと主張する。

しかし、この点についても、前記2(一)(2)イで検討したことから自ずと明らかなとおり、被告板垣及び被告板垣を通じての被告会社の被告甲野に対する選任、監督義務違反と本件事故発生との間には相当因果関係がある。よって、被告会社及び被告板垣のこの点に関する主張も理由がない。

以上の検討から明らかなとおり、被告らは、訴外直治死亡に伴う損害を連帯して支払う義務がある(不真正連帯債務)というべきである。

四  過失相殺(抗弁2)

次に、損害額の算定に入る前に、被告らは過失相殺の主張(抗弁2)をするので、この点を判断する。

前記二で認定した、本件殺害に至る事実関係に《証拠省略》を併せ勘案すると、以下のことがいえよう。

本件は、確かに被告らの指摘するとおり、被告甲野の殺害行為は、訴外直治の粗暴かつ迷惑な言動により誘発された側面があり、訴外直治のいわれなき暴言、執拗なる脅迫に耐えていた被告甲野の感情が訴外直治の「そんな刃物なんか怖くねえ。やるんならやってみろ。」などという挑発的言動により一気に爆発した点を考えるとき、その責任の一端は訴外直治にあることはいうまでもない。

しかし、他面で、被告甲野も長らくタクシー運転手の職にあり、酔客を乗せることも度々あったのであるから、それに対する接し方の心構えは十分出来上がっていなければならない筈である。しかるに、被告甲野は短慮にも脅して降車させるべく刃物を持ち出し、逆にますます訴外直治を挑発興奮させてしまった。そして、被告甲野は、口では脅迫的挑発的なことは言っていたが、暴力を振るうまでには至っておらず、また、素手のうえ酔っていて実際にはさほどの闘争能力もなかったと見られる訴外直治を、前記凶器で強烈な攻撃を加え、殺害するに至ったのであり、やはり、その責任の大半は被告甲野にあるというべきである。

これら諸般の事情を勘案すると、損害額算定に当たっては、訴外直治側の過失を二割とみて、その割合を減額するのを相当と思料する。

五  損害

1  訴外直治の損害

(一)  逸失利益

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

(1) 訴外直治は、本件事故当時三五歳の健康な男子であり、本件事故当時土木作業員として稼働しており、毎月二三万円(年額二七六万円)の収入を得ていたこと、(2)訴外直治は、死亡しなければ、六七歳に達するまでの三二年間、少くとも前記同額の収入を得られたと推認できること、(3)訴外直治は本件事故当時独身であり、逸失利益の算定に当たっては生活費として五〇パーセントを控除するのが相当であること、以上の各事実が認められる。

以上の各事実に、ライプニッツ式計算法(ライプニッツ係数一五・八〇二六)を適用し、中間利息を控除して訴外直治の逸失利益を計算すると、左記のとおり金二一八〇万七五八八円となる(円未満切り捨て)。

276万円×(1-0.5)×15.8026=2180万7588円

(二)  慰藉料

前記認定のとおり、訴外直治は死亡当時三五歳の独身男子であったこと、被告甲野により殺害されたこと、交通事故による死亡の場合との比較等本件に表われている諸般の事情を加味して考えると、訴外直治の慰藉料としては金二〇〇〇万円が相当である。

(三)  過失相殺した後の損害額

以上のとおり、訴外直治の損害額は、前記(一)、(二)のとおり金四一八〇万七五八八円

(2180万7588+2000万円=4180万7588円)となるが、前記四で検討したとおり、右損害額は二割過失相殺するのが相当であるから、その損害額は、金三三四四万六〇七〇円(4180万7588円×0.8=3344万6070円)となる。

(四)  弁護士費用

《証拠省略》によれば、被告らが任意に本件支払をなさないため、原告は本訴を本訴原告代理人に委任したことが認められる。そして、本件事故と相当因果関係にある弁護士費用としては、損害認容額、立証の困難性の程度等本件全証拠に照らすと、金三〇〇万円が相当と考える。

(五)  相続

《証拠省略》によれば、請求原因5(相続)の事実が認められる。

(六)  小結論

以上(一)ないし(五)によれば、訴外直治死亡に伴う原告の被告らに対する損害賠償請求金額は金三六四四万六〇七〇円((2180万7588円+2000万円)×0.8+300万円=3644万6070円)ということになる。

2  損害の填補

最後に、被告らは損害の一部填補を主張する(抗弁1(三))ので、この点について検討する。

《証拠省略》によれば、被告会社は、原告に対し、訴外直治死亡に伴う葬儀費用として合計二六八万四七五〇円を支払ったことが認められる(なお、原告は金一八〇万円の限度で認めている。)。

ところで、原告は、本訴で、被告らに対し葬儀費用を支払ってもらっているとして、同費用の支払を請求していない。弁論の全趣旨によれば、訴外直治死亡と相当因果関係にある葬儀料としては金九〇万円が相当と認められるところ、前記過失相殺の割合を乗じると、本来被告らで負担すべき葬儀費用としては金七二万円(90万円×0.8=72万円)であったと認めるのが相当である。そうだとすると、右七二万円まで、損害額に充当するのは不相当ということになる。

以上によれば、被告会社が支払った金額のうち金一九六万四七五〇円(268万4750円-72万円=196万4750円)を原告の損害の一部として充当するのが相当と思料する。そうだとすると、原告の損害額は結局、金三四四八万一三二〇円(3644万6070円-196万4750円=3448万1320円)ということになる。

六  結論

以上から明らかなとおり、原告の本訴請求は、被告らに対し各自金三四四八万一三二〇円及びこれに対する本件不法行為の日である昭和六二年七月二五日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、この限度で認容し、その余の部分は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条本文、第九三条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 難波孝一)

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